私は暇なときにサーチエンジンでミュシャをキーワードに検索かけてみるんですが、
色んな人がミュシャについて語っているのを見かけます。
それは、好意的な意見だったり、そうでもなかったり、色々なんですが、
ときどき、それは誤解なんじゃないの?と思う意見に出くわします。
その中のひとつが、「ミュシャの絵って、実物見ると結構タッチが粗い」というもの。
確かに、大型ポスター作品には、そういうものがあります。
でも、比較的小型の作品の中には、ものすごーく細密で、それはもう、
まさに職人芸な細やかさの作品だってあるんです。
たまたま見たひとつの作品がそうだったからといって、総てがそうとは限りません。
それをさも総ての作品がそうであるかのような言い方は感心しません。
ちなみに、大型ポスターでタッチがあまり細やかでない理由は色々想像できます。
ポスターってのは、目立ってナンボの世界ですから、大胆な筆遣いで人目を引くこと、
そして、遠くからでもぱっと目に入ることが重要だと思われます。
インパクトを与えるためにもあまり細い線ではいけないのでは、と思います。
ここでいうポスターとは、部屋に飾るポスターではなくて、宣伝用に街頭を飾るものです。
そういうものは、間近でじっくり見る用途ではありませんからね。
あと、思うに、大きければ大きいほど細かく描き込むのは大変な仕事ですよね。
そういう意味でも大型ポスターはタッチが粗いのかな、と思います。
個人的には「粗い」=「欠点」とは思っていないのですけどね。
宣伝用でも、それ程大きくないサイズのものは、「遠くから見て・・・」という意識よりは
間近での鑑賞にも堪えられるような作り方をされているような気がします。
件の人がどの作品を見てそういう感想を持ったのかはわかりませんので、
ここで私がいくら語ったところで反論になっているかは怪しいのですが(笑)、
もし、ジスモンダやロレンザッチオなどの実物を見て「粗い」とがっかりする前に、
ちょっと見方を変えて、改めて作品と向き合って欲しいな、と思います。
大型ポスターの話をしたので、ついでにひとつ、豆知識をご紹介。
ミュシャの2m級のポスターを見ると、真中に継ぎ目があることに気付くでしょう。
それを見たら「破損している」と思うのが普通だと思いますが、(私もそう思った)
実はあれ、最初からああいう風に作ってあったんです。
ミュシャのポスターは、「リトグラフ=石版画」という印刷技法を用いて
作られているものがほとんどです。
その技法は、その名の通り、石を使って刷るというもので、
大きなものを刷ろうと思ったら紙と同じサイズの石を使わなくてはいけません。
ここで考えてみてください。19世紀末、まだまだ機械もそれ程発達していません。
だいたいのことは人の手でやらなくちゃいけないわけで、
2mの大きさの石を扱うのがどれだけ大変かということは、容易に想像できますよね。
そこで、扱える石の大きさの限度を超えたサイズのポスターを作るときには、
分割して刷って、最後に貼り合わせるということをしていたそうです。
実際、同時代の他の大型ポスターをみたところ、継ぎ目はありました。
もし誰かが「これ、真中で切れてるね」というようなことを言ったときに
すかさずこんな話をするとちょっと威張れるかも?
できれば石版画についてもある程度勉強しておくと、
万が一、更に突っ込まれたときにも安心です(笑)
ちなみに、私は付け焼刃で喋ってるので、突っ込まれると弱いです (^^;)
破損ネタが出たところで、似たような話を追加。
ときどきミュシャのポスター作品に切手やシールのようなものが貼ってあることがあります。
これはポスターを貼る際に検閲みたいなものを通った証明だと聞いたことがあります。
雑誌の表紙にもこういうものはあります。検印ってやつでしょうか。
決して欠損ではなく、当時流通していたものだという証拠です。
全部が全部そういうものかどうかはわかりませんが、そういうものもあるということは
知っておいたほうが、オリジナル鑑賞の際には面白いと思います。
あと、パリ市立図書館所蔵の版画には所蔵印が押してありますが
これはどう見たらいいのか悩むところです・・・